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サウジ豆知識 サウジ歴史 第二次サウード王国 (1818-1891) | サウジ.jp
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Saad ibn Saud Palace in Diriyah

サウジ豆知識 サウジ歴史 第二次サウード王国 (1818-1891)

1824年には、アルサウード家はアラビア中央部の政治的支配を奪還した。サウジ統治者のトゥルキー・ビン・アブドゥッラー・アルサウードは、ディリヤから約32キロ南にあるリヤドに首都を移し、第二次サウード王国を建国した。11年間の統治の間、トゥルキーはオットマン帝国に失われた土地のほとんどを奪還することに成功した。彼は支配を拡大しながら、国の人々の権利を確保するために措置を講じ、その幸福に気を配った。


貿易と農業が栄えた時期だった

トゥルキーと彼の息子であるファイサルの下で、第二次サウード王国は平和と繁栄の時期を幸せに過ごすことができ、貿易と農業は栄えた。平穏は1865年、オットマン帝国のその中東帝国をアラビア半島にまで広げようとする新たな軍事行動によって、打ち破られた。オットマン帝国の軍隊は、当時、ファイサルの息子、アブドゥルラフマーンが統制していたサウード王国の一部を占領した。オットマン派の支持を得て、ハーイルのアルラシード家は、一段となり組織的にサウード王国を打ち倒そうとした。


戦争後にクウェートにて滞在

さらに大規模で優れた武装の軍隊に直面し、アブドゥルラフマーン・ビン・ファイサル・アル・サウードは1891年に闘争を放棄することを余儀なくされた。彼はルブアルハリ砂漠、あるいは「空虚な一角」と知られるアラブ東部の砂漠に住む、ベドウィン族の所へ逃げ込んだ。そこからアブドゥルラーマンと彼の家族はクウェートのに行き、1902年まで滞在した。彼のもとには若き息子のアブドゥルアズィーズがいたが、アブドゥルアジーズはすでに天性の指導者として、またイスラム教を大義とした猛烈な戦士としての頭角を現していた。

出典 サウジアラビア大使館(米国)

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sauji.jp 運営スタッフ
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